ジャイルロック立川本店の生い立ち(2005~2006)
社長です。
令和元年、年号も変わり2020年という節目の年という事もあり
何回かに分けてジャイルロック立川本店の歴史を紐解いていこうと思います。
目次
紀元前ライブチャット
今から約15年前、立川ジャイルロックはスタートしました。
チャットレディという言葉さえもよくわからない時代。
ブロードバンドが流行りだし、
映像配信が容易になっていきます。
源流をたどれば確か、
『彼女の部屋』
というサイトと記憶しています。
女性の部屋の各所にウェブカメラを設置し、
お客様は1人暮らしの女性を観察し、
女性はプライベートを売るというコンセプトだったと思います。
お客様は自宅でカメラを操作して様々な角度から映像を覗くことができました。
やがてそれはコミュニケーションを求めはじめ、
単なるやらせの私生活を配信するだけでは成り立たなくなっていくのです。
ライブチャットの誕生
そこでキャバクラや風俗、テレクラなどのコミュニケーションの要素をもった
ライブチャットが誕生します。
今となってはインスタや17ライブなどのライブ系サイトはたくさんありますが
当時は自宅にいながらリアルタイムで女性をやり取りできるという事で斬新なものでした。
女性としても1時間で数千円稼げる高収入バイトという事で一躍脚光を浴びます。
全ては1kマンションから
そんなある日、あるルートからプロダクション業務お誘いの話があります。
右も左も流行りか文化か?
もわからずとりあえず勘だけを頼りに開業しました。
知り合いの探偵から1万円で買ったパソコン2台と家にあった正方形のブラウン管のモニター。
連絡しても1週間は返信が来ないHP製作会社。
完成したサイト名は何故か
cabo-chat(カボチャっと)
サイトとプロダクションの区別もついていない状況、
何しろ金はありませんからとりあえず文句は言えません。
玄関入ってすぐキッチンですがそこで面接です。
薄いパーテーションに100均で買った洗濯ばさみと業務用生卵の入れ物を利用して防音設備。
1人1部屋の完全個室の今となっては懐かしい思い出。
開業当時を支えてくれたスターティングメンバーは今でも交流があり、かけがえのない存在です。
悪戦苦闘
『またか。。。。』
中国からのdos攻撃だったりサーバーダウンだったり。
基本的に忘れたころにライブチャットサイト自体が落ちます。
画面は真っ白。
頭も真っ白。。。
女の子達には申し訳なく保証を払って帰ってもらう日々。
何しろせっかく来てもらったのに途中で終了し、
モチベーションが下がることが申し訳ないし悲しかったです。
他にも狭い部屋ですので音声チャットになるとすぐ横のチャットレディに聞こえるという最悪な状況でしたので現在の1人1部屋完全個室の礎になっています。
ノウハウと巣立ち
そんな苦難もノウハウとして積み上げていった事で
先行者メリットを感じることが多々あります。
始めて1ヶ月でよほどの事が無い限り在宅と女性同士の交流はダメだと悟ります。
利益が出ても投資投資で何しろ盤石な基盤を作るのに精いっぱいでした。
うまいこと広告戦略もはまって半年もたたないうちに5つあったブースは毎日キャンセル待ちが出来るほどに。
うちにしかない色を出したい!!ジャイルロックはお引越し。
次のステージへ向かうのです。
次回予告。。。
ライブチャットサイトもたくさん誕生し、それに伴いチャットレディのプロダクションも増えていくだろう。
単なるチャットプロダクションはいずれ淘汰されると感じ、
ネイル、チャット、オフィスのデザイナーズリゾートオフィスへと進化していきます。
ジャイルロックは『チャットレディちゃんねる【立川】チャットレディ求人おすすめ人気ランキング』でも堂々1位を獲得!!
まずはお気軽に問合せからどうそ☆彡